Kiyonaga Private Studio

私のストーリー
この話にはありのまま書いてます。辛い出来事も書いてますので苦 手な方や同じ経験をした人で強い精神的なストレスを感じた方は読むのをやめてこのページを閉じてください。
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清永プラベートスタジオのオーナの清永誠司です。
生い立ちを書いていこうと思います。
私は熊本出身で1981年に未熟児として生まれ為に出産が困難を極め
たそうです。
呼吸器官にも問題がありICU(集中治療室)に運ばれて呼吸管理や
栄養投与しながら入院してました。6歳の頃に1回目手術をしてます。
それ以降も何度か手術を受けて育ちました。物心ついたころには父
は居ませんでした。
保育園から中学生までは詳しい内容は割愛しますが良い思い出はあ
りません。この頃から差別や偏見など様々な苦難を経験しています。
同じ人間なのに優劣を決めつけ心無い言葉や暴力や争いがあるのだ
ろうと強く感じ心が何度も折れた事は計り知れずまるで戦争と同じ
だと感じたこともあります。小学校の頃からピアノや歌が好きでし
た。音楽が唯一の心の癒しでした。小学校の頃はピアニストになり
たいと思いピアノ教室に通っていました。母親一人で私を育てて大
変苦労をかけてしまった時期もあります。
工業系の高校に進学し卒業後に大阪の化学系の大学に入学した。
大阪で初めて心から愛してくれる年上の最愛の人と出逢い一緒に暮ら
し始め毎日が楽しく辛いことがあっても乗り越えお互いが幸せで平穏
な日々を過ごしてました。しかしある日、最愛の人が急性骨髄性白血
病を発症して手術を受けましたが35歳という若さで亡くなりました。
私は20代でしたので心を抑える許容が弱く強くなかったので絶望と深い
失意と悲しみで心に穴が開いたようになり、何度命を絶とうとしたかわか
らないくらい苦しみの淵でした。最愛の人との築いていた幸せな暮らしが
ガラスのように音を立てて砕け崩れていきました。立ち直るまで数十年を
要しました。
今でもこの頃を振り返ると涙が溢れてきます。
それ以降、空虚な状態が続いていましたが亡き最愛の人と約束を交わし
た夢を叶えたくて、差別や偏見をしてきた人達を見返すためあらゆる難関
な資格を取ることを目標にして自分自身を強く高めた。取得した資格は、
第一種情報処理技術者
危険物取扱者甲種
環境計量士(濃度関係)
第一種電気工事士
第二種電気工事士
第一種電気主任技術者
一級建築士
等を取得した。
30代くらいに東京に住み始めて会社設立の為に日々精進して
2020年にパートナーと出逢い結婚して現在に至る。
厳しい都会の中で会社を立ち上げ軌道にのりプライベートスタジオ
も作ることが出来て仕事も生活も充実して毎日が幸せな時間です。
衣食住ができる事は全てのことに感謝して日々精進することを忘れず
現在も歩んでおります。